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代々木八幡宮は、標高32mの丘にありますが、昭和25年の夏にここを調査したところ、多数の遺物とともに、現在の復元家屋の位置から住居跡が発見されました。出土した土器により、縄文時代の早期から後期にかけて数千年にわたり縄文人の生活の場であったことがわかりました。
代々木八幡宮の社伝によると、源頼家の家臣に家来である荒井外記智明は、頼家が伊豆で殺害されたあとに名前を改めて代々木の地に引きこもり、建暦2年(1212)に夢の中で大神から宝珠のような鏡を授かったので、源氏の守り神である鶴岡八幡宮の分霊をまつり、小祠を建てたのが代々木八幡宮の創建といわれています。この絵馬は、その経過を表現したもので、天保12年(1841)に奉納されたものです。
神功皇后に関する神話の絵馬で、神功皇后とその乳飲み子、従臣の武内宿禰が描かれています。一般に見られる作例と異なり背景の表現は少なく、人物を主体とした構成と力強く勢いのある作風は、その色彩とともに明らかに芝居絵と共通しています。天保11年(1840)に奉納されています。
江戸時代、庚申講によって造立された庚申搭と、中世から見られはじめる板牌で、関東特有の秩父産緑泥片岩で作られています。
享保18年(1733)に造立された庚申搭と、地蔵尊像など3基の石造物があります。
縁起によれば、元文3年(1738)10月に向井氏が五穀豊穣、庶民安楽等を祈って福泉寺領の田地に祀ったことが始まりです。
ここにある庚申搭は、宝暦5年(1755)、宝永6年(1790)、寛政6年(1794)、などの年紀が刻まれています。
現在でも広く愛唱されている「春の小川」は、この付近の風景を愛でた高野辰之博士によって作られました。
源義家あるいは頼朝が、この松に鞍をかけたことから名称が生まれました。関東特有の源氏伝説のひとつです。